今日は、東京大空襲から78年。
明日は、東日本大地震から12年。
“最近慣れるねぇ…人って慣れるねぇ…って、つくづく思うんです。”
劇作家の松村武さんの言葉で、コロナ禍での日々やダメな政治家、戦争のあることに対して(もちろん皮肉を込めて)慣れてしまった書かれていました。
この文章が気になったのは、少し前に『夜と霧』という本を読んだからかもしれません。
この本は、強制収容所から生還した精神科医のヴィクトール・フランクルが書いた本で、強制収容所での出来事を精神科医としての視点で冷静に記録したものです。
その中でも特に記憶に残ったものが、”慣れる”ことについて書かれた部分です。
人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい……。”
ヴィクトール・E・フランクル(著)池田香代子(翻訳) 『夜と霧 新版 単行本』みすず書房
ユダヤ人迫害の残酷さは誰もが知っていることと思います。
そのような状況でさえ、人は慣れてしまうそうです。
痛みや恐怖、飢えなどに無関心になることは、”心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ”とも書かれていました。
慣れることは、生きるために備えられたものとも言える。
しかし、慣れて、なかったことにしてはいけないものもあるよなぁ。
そういう2つの側面があるということを時々思い出したいな、と思ったのでした。
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