赤毛のアン、読み終わりました。
手元にあっても全然読んでいなかったのに、すっかり好きになってしまいました。
名前だけ知っていたアンも、印象の薄かったアンを引き取り育てた兄妹マリラやマシューも、もう身近な存在に感じます。
何歳になっても好きなものが増えるのって嬉しいですね。
これからどこかで赤毛のアンを見かけたら、気になって見に行ってしまうと思います。
好きだなって思うものや身近に感じられるものがたくさんあると、なんでもない日もまた違って見えてくるような気がします。
これからおばあちゃんになるまでずっと、こんな風に好きなものや空間、雰囲気…なんでも見つけていきたいな。
あとは誰かがおすすめしたものとか、考え方なんかも色々聞いて、実際に試してみたい。
合わなかったら、それは今の自分には合わないんだってことが分かるからそれもまた面白そうです。
最後に赤毛のアンを読んで、あまり”朝”が好きでない私の目に留まった言葉を紹介します。
これはマリラとマシューが望んでいたのは本当は男の子で、女の子である自分は明日孤児院へ返されてしまうかもしれないということを知り絶望のまま眠ったアンが、翌朝起きたときにマリラへ向けた言葉です。
アンの目の前には夢にも思わなかったほど美しい6月の朝が広がっていました。
まあ、すばらしいこと…中略…小母さん、こんな朝にはただただ世界が好きでたまらないという気がしない?…中略…あたし、けさは絶望のどん底にはいないの。朝はそんなところにいられないわ。朝があるってほんとにすばらしいことじゃない?
L・M・モンゴメリ/村岡花子訳『赤毛のアン』
これまで生きてきて、そんな風に思ったことなかったな。
むしろ朝はいろんな意味で得意でなかったので、こんな風に思う人がいるんだって驚いてしまいました。
でもあまりにも純粋にアンが言うものだから、少しだけ朝が好きになったんです。
呆れるほど単純ですが、そんな私です。
でもアンみたいに”朝”を感じてみよう!なんて思ってみても、うまくいくはずもなく…
ただ、こんな朝が私にもいつか訪れるのかもしれないと思って頭の隅っこにこの言葉を置いておきたいと思ったのでした。
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